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【マレーシア通信No.21】

 

【マレーシア通信No.21】

みなさまに支えていただいた「マレーシア通信」も今回が最終回となりました。3年の任期を終え、今月下旬には帰国する予定です。これまでのご支援に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

~第20回 卒業証書授与式~

稲美町小学校の卒業証書授与式は今月の20日以降だと思いますが、本校は今月の11日に実施されました。小学部8名、中学部6名の合計14名が、それぞれの学部を卒業しました。

無題

内容は日本とほとんど同じです。

☆卒業生入場
☆国歌斉唱
☆卒業証書授与
☆学校長式辞
☆来賓祝辞 在マレーシア日本国大使館 公使、学校運営委員長
☆卒業記念品贈呈
☆送辞
☆答辞
☆校歌斉唱
☆卒業生退場

以上が式の流れです。

無題1日本国大使館公使様

 

送辞は小学部と中学部から代表が1名ずつ発表します。また答辞は最初に小学部8人、次に中学部6人が全員で発表します。小中合わせて、20分ぐらいの長さです。

日本と大きく違っているところは、暑い国なので子どもたちが半袖の服を着用していること、体育館の中は冷房が無いので扇風機が回っていること、日本国旗に並んでマレーシア国旗が掲げられていることなどです。また、卒業生の胸花はオーキッドです。付けたときはとても美しかったのに、式が終わる頃にはしおれてしまうのが、ちょっと悲しいです。

式には、小学部1年生から中学部3年生までの全校生が参加します。入学式の日はじっと座っていることができなかった小学部1年生が、2時間近くもお行儀良くできたことに大きな成長を感じました。暑い中でしたが、体調を崩す子が誰もいなくて、無事に式を終えることができました。

式が終わった後、卒業生は保護者と一緒に写真を撮りました。どの子も緊張から解き放たれ満面の笑みで写真を撮ることができました。

今年は勤務3年目で6年生担任でした。昨年、一昨年は1年生担任でしたので最初は戸惑いもありましたが、素直で賢い子どもたちに日々助けられました。また、保護者がとても協力的で、子どもたちのサポートをしてくださったこともありがたかったです。

現地校(中華系、マレー系、インド系)との交流やマレーシアのことを調べていくうちに、マレーシアに興味を持ち、この国のことがどんどん好きになっていく子どもたちに成長を感じました。今年取り組んだことは以下のようなことです。

〇マレーシアの自然、産業、祝日、言語などについて調べました。(総合的な学習)
〇クトゥパ作りに取り組みました。(図工)
〇マレーシアのローカルフードの調理実習をしました。(家庭)
〇椰子の木やウミガメ、ラフレシアなどを版画で表現しました。
額縁をバティックで作りました。(図工)
〇バティックの柄でナックザックを作りました。(家庭)
〇被爆されたマレーシアからの留学生について学習しました。(国語)

無題2
無題3
各教科の中に現地の素材を取り入れたことにより、マレーシアへの理解をより深めることができたように思います。子どもたちの学習に現地素材を取り入れたことで、私自身がマレーシアへの理解をより深めることができました。子どもたちと一緒に、マレーシアのことを学ぶことができて本当に幸せでした。

この3年間、健康で意欲的に働くことができたことが何よりの幸せでした。

この地で出会うことができた子どもたち、保護者の皆様、日本人学校の先生方とスタッフ、ローカルの友人たちに、深く感謝を申し上げます。

そして、快く私をマレーシアに送り出し、このような経験をさせてくれた家族にも感謝しています。

ここでの経験を今後の生活の中で活かしていくことが、お世話になった多くの方々へのお礼になると信じて、これからの日々を過ごしていきたいと思います。

ありがとうございました。

大辻 智加子

 

 

 

 

 

【マレーシア通信No.20】

 

【マレーシア通信No.20】

~ラーキンスタジアム~
(HOME OF THE SOUTHERN TIGERS)

「ジョホール」と聞いて、どれぐらいの人が正しい場所を答えることができるでしょうか。ほとんどの方が、「それは、どこですか。」と疑問に思われるのではないでしょうか。

「あなたの赴任校はジョホール日本人学校です。」という連絡をいただいたときに、「ジョホールってどこ? でも、聞いたことがあるような気もする・・・。」と、私は思いました。調べてみると、ジョホールはマレーシアの最南端、シンガポールの対岸にある都市でした。

実は、最初の海外旅行が「シンガポール」だったのです。その時に、詳しくは覚えていませんが、この地を訪れていたようでした。どこかで聞いたことがあると思ったのは間違いではありませんでした。その後、この街は日本人、それもサッカーファンにとっては有名な「ジョホールの歓喜」の場所であることがわかりました。ジョホールは、日本が初めてワールドカップ出場を決めた地なのです。私はサッカーには詳しくありませんが、「ジョホールの歓喜」は聞いたことがあります。

マレーシアはサッカーがとても盛んです。各州にチームがあり、ジョホールにも「Southern Tigers」というチームがあります。そのトップはジョホール州の王子様です。このチームは、マレーシアの全国大会で3年連続優勝している強豪チームです。つまり、マレーシア1のチームということです。そのチームのホームスタジアムが「ラーキンスタジアム」で、「ジョホールの歓喜」の舞台となったところです。本校の応接室にも当時のサイン入りサッカーボール、選手たちの写真、サイン色紙が飾られています。

この地に住んでいるのだから、絶対に行きたい所、行くべき所と思っていました。しかし、なかなかその機会がありませんでしたが、今年になってようやく出かけることができました。行ってみると、残念ながら、

「リノベーション中だから駄目。」と、言われてしまいました。

「いつ終わりますか。」と聞いたら、

「20日になったら終わる。」と、いう返事でした。

なので、20日過ぎに再度訪れました。

今回は訪れている人が多く、「今回は見学ができる。」と、うれしくなりました。しかし、「タッ ボレ(駄目)」という返事。何故入れないのかと聞くと、「まだ、リノベーションが終わってないから。」とのことでした。(20日には終わると聞いたのに・・・。ここは、やはりマレーシアなのか。)訪れていた多くの人々は、年間パスを求めて来られていた方々だったそうです。

そこで、3度目の正直ということで、先日見学に行ってきました。今回はローカルの友人と一緒に行きました。友人が頼んでくれたお陰で、案内する人が出迎えてくれました。ジョホール州旗の色、赤と青に塗り分けられたスタジアムが迎えてくれました。廊下もロッカールームも赤と青です。

友人のお陰で、選手の控え室にも入れてもらいました。何と、この中も全て赤と青でした。その徹底ぶりに驚きました。中には、サウナ、ジャグジー、アイシング用バスタブ、シャワー、冷凍庫、マッサージベッド、飛行機の機内用の椅子が20脚、飲み物用の冷蔵庫、TV,お祈り用のマットなどがありました。その豪華さに驚きました。同じ部屋が相手用にも用意されているそうです。(残念ながら、写真撮影は禁止でした。)

廊下の壁は、優勝した3年間の写真で飾られていました。また、コートは芝生の手入中でした。この仕事を任されているのが、広井さんという日本の方です。王様のお庭も任されているという方で、その時に偶然お目にかかることができました。しばらく、仕事のようすを見せていただきましたが、丁寧な仕事ぶりに感心しました。

マレーシアの最強チームなので、このような豪華なサッカー場がよく似合うと思いました。(だから、リノベーションをしたのかもわかりませんね。) ずっと行きたいと思っていた所を見学することができ、それも普通では見ることができない部屋までも見せてもらい、2回断られて残念な思いをしたことも吹っ飛びました。次は是非、「Southern Tigers」 の試合を見たいと思います。

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赤と青に塗り分けられた応援席

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選手が入場する入り口
ここも、赤と青です。

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廊下の壁画です。

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赤と青に塗り分けられた応援席

 

 

 

 

 

 

選手が入場する入り口

ここも、赤と青です。

 

 

廊下の壁画です。

 

【マレーシア通信No.19】

 

【マレーシア通信No.19】

~国際交流~

マレーシアは以前にもお知らせしましたが、多民族国家です。特に、3大民族と言われるのは、マレー系マレーシア人、中華系マレーシア人、インド系マレーシア人です。

中華系は中国南部を故郷とする人が先祖で、仕事を求めて中国からマレーシアに移り住んで来たそうです。港や漁港の労働者として、また錫の発掘場所等で働く職人として従事しました。ジョホールの中華系は、胡椒とガンビルの農園で働く人が多かったそうで、商売が得意な人は商いをして財を増やしました。

インド系は以前にイギリスの植民地だったこともあって、労働者としてイギリス人が連れてきたと言われています。南インドの人が主で、ゴムのプランテーションで働く人が多かったそうです。 

このようなことから、国教はイスラム教ですが、仏教、ヒンズー教の信者の方々も多いです。街のあちらこちらにモスク、仏教寺院、ヒンズー教寺院が点在しています。建物の種類を見ると、その地に何系の人が多いかがわかります。

言葉もマレー語に加えて、中国語、タミル語も話されています。また、イギリスの植民地だったこともあって、英語が通じます。ただ、マングリッシュといって少し聞き取りにくいときがあります。例えば、カーパークはカパです。しかし、若い人はほとんどが英語を話すので、旅行者にとっては助かります。

学校もマレー系、中華系、インド系があります。教育省の指導により、教えるべき教科などは指定されていますが、特色ある教育活動が行われています。 

本校は地元の学校と国際交流を行っています。本年も1学期に中華系学校、2学期にマレー系学校と交流を行いました。3学期にはマレー系学校とサッカー交流をしました。また、私が担任している6年生だけですが、2月中旬にインド系学校と交流を予定しています。相手校を訪問したり、本校に来ていただいたりと様々ですが、先生方と打ち合わせをして内容を決定しています。 

2学期のスリアラム1校との交流について紹介します。1116日に本校にお招きしました。現地校は午前が高学年授業、午後が低学年授業の2部制なので、それに合わせて4,5,6年生は午前中に、123年生は午後に交流を実施しました。高学年は最初、合同で和太鼓演奏、ラジオ体操を披露しました。ラジオ体操はスリアラムの子どもたちも一緒に楽しみました。

その後は学年ごとに交流をしました。6年生は最初に「組体操」を見てもらい、お友だちに教えました。現地校の子どもたちは「初組体操」に喜んでチャレンジし、成功させることができました。「扇」「タワー」「ピラミッド」などがきれいに出来上がり、喜んでくれました。

その後は、「味噌汁作り」です。体育館から家庭科室に移動し、グループに分かれて調理をしました。マレーの子どもたちが食べてくれるか心配でしたが、ほとんどの子が喜んで食べてくれました。一昨年は「白玉団子」、昨年は「手巻き寿司、おにぎり」を用意したのですが、醤油味や黒い海苔、酢飯が口に合わず、ほとんど食べてくれなかったことを考えると今年は大成功でした。

予定していたことがスムーズに進み時間に余裕があったので、体育館で遊びました。最初は「ドッジボール」をしましたが、ルールがよくわからないようでゲームにはなりませんでした。男子チームは「ドッジボール」から「バレーボール」、最後には「サッカー」になっていました。こちらの子どもたちは「サッカー」がとても上手です。本校の6年生男子は運動が得意ですが、そんな彼らが攻められることが多かったので、さすがだなあと思いました。 

中華系との交流は、本校からは「ソーラン」を紹介し、中華系の学校からは「中国独楽」「中国武術」を教えてもらいました。

今度はインド系の学校に「インドの遊び」「サンドアート」を紹介してもらいます。「サンドアート」は「ディーパバリ」というインドのお祭りのときに色のついた砂で絵を描くことです。今からどのように描くのかとても楽しみにしています。朝食も用意してくださるそうで、本場のカレーをいただくのが待ち遠しいです。

 

【スリアラム1校との交流風景】

味噌汁作り
豆腐の切り方を教えています。
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組体  マレーの子も上手に完成!
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ゲームの相談をしています。女子はトゥドゥンを被っています。
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お手紙をいただきました。
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【マレーシア通信No.18】

 

【マレーシア通信No.18】

車のアクシデント~

私はこちらでは、マイビーという車に乗っています。マレーシアのメーカー、プロドゥア社の軽自動車です。小回りがきくのでとても乗りやすいです。中古車は故障が多いとのことで、新車を購入しました。この車で毎日の通勤はもちろん、シンガポールやクアラルンプールへも出かけていきます。私が勤めている学校の職員も半数以上が、このマイビーです。

マレーシアでは、日本車をはじめとする外車もたくさん走っています。トヨタやホンダの車をよく見かけます。また、ベンツやBMWも珍しくありません。シンガポールに行くと、さらに高級車が多くなります。マイビーで走っていると、大人の中に幼い子がいるような感じを受けます。

また、マレーシアには車検制度がありません。だから、よくこんな状態で走っているなあと思うような車を見かけることがあります。ボンネットがへこんでいたり、バンパーが壊れていたり、車体に損傷がない車が珍しく見えるときもあります。エンストを起こしている車を見かけることが多いです。暑い国なので、よけいにそうなるのだと思います。イミグレは混んでいることが多いですが、その理由の一つにエンストを起こして、通行の妨げになっていることがあります。私が見かけただけでも数回ありますので、よく起こっているのだと思います。

車に詳しくない私は、事故や故障を起こさないようにと点検を小まめにしていました。しかし、3年目で、車も疲れが出たのか、アクシデントがありました。12月にシンガポールに行ったときのことです。思っていた物を買うことができて、ホーランドビレッジで昼食を摂りました。そして、次の目的地に向かおうと車のエンジンをかけました。しかし、かかりません。昔、バッテリーが駄目になって夫が他の車とつないでいた様子を思い出しました。6月にこちらにあるオートバックスで点検をし、9月にプロドゥアで点検をしていたので、大丈夫と思っていたのですが・・・。やはり、バッテリーの寿命が尽きていたようでした。

さて、どうしようと思って周りを見渡しました。ショッピングセンターの屋外駐車場なので、人の往来があります。最初に、力のありそうな男性2人に声をかけました。しかし、残念なことに車を持っていないとの返事。次にチャイニーズ系の家族に声をかけました。残念ながらケーブルを持っていないとのことで、奥さんが通りかかった男性に声をかけてくれました。何と運良く、その方がケーブルをつないでくれました。お陰で車がよみがえりました。

ほっとして、これからのことを考えました。その日はホテルを予約していたので、宿泊しないわけにはいきません。次の日は歯医者を予約していたので、これも行かないといけません。また、エンジンがかからないかもしれないという不安を抱えてホテルに向かいました。

一泊して、次の朝出発というときに、やはりエンジンがかかりませんでした。ホテルのカーサービスの人がケーブルをつないでくれて、出発することができました。その人は、

「このまま、ジョホールへ帰りなさいよ。エンジンを切ったら、また動かなくなるよ。」

と、アドバイスをしてくれました。分かってはいましたが、歯医者に行かなくてはなりません。大きな駐車場に駐車するので、何とかなるだろうと甘い気持ちで出発しました。

歯医者での治療を終えて、車のエンジンをかけました。やはり、かかりません。一階のコンシェルジュへ行って、受付の人に事情を話しました。何人か集まってくれましたが、みんな車を持っていない人ばかり・・・。シンガポールで車を所有することはとても珍しいことなんだということに気づきました。セキュリティ係の人が知り合いの車屋さんを呼んでくれて、ようやくエンジンがかかりました。しかし、イミグレの途中でエンストを起こすと大変なので、新しいバッテリーに替えてもらいました。シンガポールは物価がマレーシアの3倍なので高い買い物でしたが、安心を買ったと思うとそれほど気になりませんでした。お陰で、無事に帰宅できました。

余談ですが、私がバッテリーを替えてもらっているときに、すぐ近くに駐車していたシンガポーリアンの車もエンストしてしまいました。その人は、私のお陰ですぐにバッテリーを交換してもらうことができました。色々な方のお世話になりましたが、最後には人のお役に立つことができたような気がして、ちょっぴり良い気持ちになりました。

 

愛車マイビー(今は、35000キロほど走っています。)
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JSJのステッカーとコンドミニアムのステッカー
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税金を払った印
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【マレーシア通信No.17】

 

【マレーシア通信No.17】

~創立20周年~

ジョホール日本人学校は、本年度20周年を迎えました。11月13日に、合奏「宇宙戦艦ヤマト」合唱「未来へのステップ」を演奏して、盛大にお祝いをしました。

本校ができるまでの約30年間は、子どもたちはシンガポール日本人学校に通っていたそうです。毎朝、5時半から6時には起床し、6時半頃に迎えに来るスクールバスに乗って、通学していました。2か国のイミグレーションを通過して通学するので、始業時刻に間に合わないのは、日常茶飯事で、特に月曜日の朝や金曜日の夕方は3時間以上かかることが当たり前でした。授業を最後まで受けていると次の日に支障をきたすので、早めに下校していたとも聞きました。

通学にパスポートは必需品でイミグレのスタンプですぐに埋まってしまい、そのたびに再交付のためにシンガポールの日本大使館へ行かなければならないという不自由さもあったそうです。今でもイミグレを通るのは大変なのに、これが毎日となると気が遠くなります。小学部低学年の児童にとっては、体力的にも大きな負担がかかっていたことでしょう。また、スチューデントパスも必要で、それも父親のビザを更新するために、取り直しをしなければいけなかったそうです。以前は、ジョホールバルにはインターナショナル校もなかったので、シンガポール日本人学校へ通学するより他に選択肢がなかったようです。

95年当初、「ジョホールバルに日本人学校を作ってほしい。」という要望が高まり、ようやく学校設立の機運が高まってきました。日本人会内に学校設立委員会が設けられ、文部省、外務省等に働きかけ、ようやく設置認可の許可が下りました。

それまで保護者は、子どもがシンガポール日本人学校に通うために、シンガポール日本人会の会員を義務付けられ、またジョホール日本人会の会員であることも義務付けられ、二重の負担をしてきました。また、日本人学校が無いので、単身赴任を余儀なくされた家庭も多かったようです。家族はシンガポールに住み、お父さんは月曜日の朝、国境を越えて出勤、金曜日の夜に国境を越えて帰宅するという二重生活をしていた家庭もあったそうです。

このような中で、日本人学校が開校したということは、大きな障害となっていた駐在員家庭の教育問題の解消ということになり。日本企業の進出を容易にするものとして州政府は期待したようです。その後、欧米諸国のインターナショナル校が設置される試金石となりました。今では、インターナショナル校に通うために母子留学をしている日本からの家庭がとても多いです。

1997年4月15日、ジョホール日本人学校の開校式、入学式が行われ、大きな一歩を歩みだしました。小学部68名、中学部5名、合計73名の子どもたちが一期生として希望に胸膨らませ、学校生活をスタートさせたのです。そのうちシンガポール日本人学校からの編入学生は55名でした。

それから20年がたち、児童生徒数は多少の変化はあるものの、開校当時と同じように子どもたちは元気に学校生活を送っています。今後、この学校が30年、40年と歴史を重ねていくことを全員で願い、記念式典を終えることができました。

ジョホール日本人学校の校章について

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☆全体のデザインは、マレーシア国旗と日本国旗から。
☆アルファベットのJは、JapaneseとJohorのJ。
☆9本の光線は、小学部1年から中学部3年までの9学年。
☆4本のラインは、マレーシアで4番目の日本人学校。
(他にクワラルンプール、ペナン、コタキナバル)
☆赤、青、黄色の意味
青:マレーシアの青い空と海、深い知性、洞察力、判断力
赤:情熱、やる気
黄:元気、明るさ、優しさ

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【マレーシア通信No.16】

 

【マレーシア通信No.16】

~日本人コミュニティ~

=ソフトボール大会=

日本人会の行事ではありませんが、日本人コミュニティの行事として「ソフトボール大会」があります。今年で4回目ですが、それ以前は日本人会の行事として20年以上続いていたようです。

参加チームはジョホールの日本企業や有志の集まりです。企業としては「京セラ」「シマノ」などです。こちらに日本企業はたくさんありますが、ローカルの従業員200人に対して日本人の従業員はたったの数名という会社が多いです。ソフトボールチームの結成は難しいです。

そんな中、ジョホール日本人学校も毎年参加しています。忙しい毎日なので、練習はほとんどできません。大会前に数回できれば良いほうです。残念ながら毎年最下位を飾っており、参加することに意義があるという精神で頑張っています。

今年も1023日に市のグラウンドを借りて、朝8時から開会式が始まりました。勝っても負けても3試合しなければなりません。暑い中で3試合するのかと思うと、それだけで頭がくらくらしてきました。しかし、本校の子どもたちや保護者も大勢参加しているので、和気あいあいとした雰囲気でした。お陰で暑さも疲れも吹っ飛びました。立派なユニフォームを揃えているチームが多い中、ジョホール日本人学校職員チームは、運動会のTシャツで参加しました。背中の文字は「颯爽」です。

選手の人数は10名必要でした。最初は11人いたので気が楽でしたが、一人が足を痛めたので全員が出場しなければならなくなりました。このような状況の中、3試合を無事に終えることができたときはほっとしました。最低でも1点は取ることができ、大満足でした。

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後ろの高い建物は、パシルグダンの庁舎です。

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「京セラ」との試合の後です。ユニフォームの前には「京セラ」、後ろには「任天堂」という文字があります。パープルサンガのスポンサーだそうです。

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ジョホール日本人学校チームです。

【マレーシア通信No.15】

 

【マレーシア通信No.15】

~日本人会~

外国に住む人の集まりに日本人会があり、ジョホールにも「ジョホール日本人会」が1991年に設立されました。本年度9月末の会員数は644人で、微増傾向にあります。企業への日本人派遣は減っているようですが、インター校への母子留学の方が増えているのでその影響だということです。

=墓地清掃  墓地供養=

日本人会の行事は大きく2つで、1つは「安全講習会」と「墓地供養」、今年はそれに加えて「歯科相談会」が開催されました。本年度も9月に「墓地供養」があり、その前日には本校児童生徒が「墓地清掃」をしました。

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スクールバスで現地に向かい、縦割り班ごとに場所を受け持ちました。きれいに整備されているのでそんなにゴミはありませんが、枯れ葉がたくさん落ちていました。大きく膨らんだゴミ袋が30近くもできました。掃除の後は黙祷をし、献花をしました。こちらは暑い国なのでシンビジュームをお供えしました。

次の日は日本人会の墓地供養でした。日本からお坊様をお迎えして、全員でお参りをしました。お供え物は日本と同じく、野菜、果物、昆布などでした。

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日本のお盆のように暑い日でしたが、テントの中には涼しい風が通り滞りなく済ませることができました。

 

【マレーシア通信No.14】

 

【マレーシア通信No.14】

マレーシアの結婚式~

今回は私が出席したマレーシアの結婚式についてご紹介します。
こちらには親戚も無く、適齢期の友人もいないので本来ならば結婚式に出席する機会はないのですが、これまでにマレー系
2回、中華系1回の計3回の結婚式に出席しました。 

最初はマレー系の友人に誘われました。
ある日、

「友達が結婚するのだけれど、行きませんか。」
という誘いに驚いて、

「行っても良いのですか。」
と尋ねました。

「良いですよ。」
という答えに、不思議に思いながらも興味津々で出かけていきました。

結婚式は新婦の実家で開かれていました。家の外にはテントが張られ、良い匂いが漂っていました。家の中に入ると、新郎新婦が座るきれいに飾られた椅子が置いてありました。そして、多くの人が食事をしたり、話をしたりしていました。

新郎新婦の到着がまだだったので、先に食事をいただきました。自分で好きなものを好きなだけ紙皿に入れるブッフェスタイルでした。甘いジュース、山羊肉のレンダン、牛肉のレンダン、スイーツなどが並んでいました。イスラム教なので、お酒はありません。新郎新婦が到着するとお祝いを渡し、一緒に写真を撮りました。 

2回目の結婚式は華人系です。私が住んでいるコンドミニアムのエージェントからの招待でした。ある日、机上にきれいな封筒が置いてあり、中を開けると結婚式の招待状でした。知らない人からだったので、学校の事務員に確かめるとエージェントの娘さんの結婚式ということでした。日本では出席、欠席の返信用のはがきが入っていますが、入っていませんでした。

エージェントとの付き合いもそんなになく、娘さんも知らないので欠席しようかと思いましたが、招待状を出した人の席は用意してあるとのことで、欠席したらそこが空席になるということを聞きました。空席になると申し訳ないので、同僚と出かけることにしました。

会場はリゾートホテルで多くのお客が招かれていました。司会者は新婦の弟、妹で中国語、英語の2カ国語で進行していました。お料理は中華料理で、大きなお皿に盛り付けられて次々に出てきました。来賓や友人の挨拶はありませんし、余興もありません。新郎新婦が各テーブルを回って挨拶をするところは日本と同じでした。華人系なのでお酒は出されていましたが、それを接ぎに回るようなこともありませんでした。おしゃべりをして、食事を食べて、時間が過ぎていきました。

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3回目は1回目と同じくマレー系の友人に誘われて行きました。昨年度、本校が全体研修をお願いした学校の校長先生からの招待でした。ご自分の息子さんの結婚式に招待してくださったのです。その校長先生とは2回お会いしましたが、結婚式に招待されるようなお付き合いでもないので驚きました。マレー系の結婚式は招待客が1000人近くになると聞いてはいましたが、私のようなものまで招待されるのだから、その数は当然だと思いました。

今回の会場はホールでした。広い会場にテーブル、椅子がぎっしりと並べられていました。まず、校長先生に入り口で挨拶をしました。その後、友人が、

「さあ、いただきましょう。」

と、食事のところに連れて行ってくれました。山羊肉の料理や麺料理、デザートが並んでいました。ここもブッフェスタイルでした。食事をしていると、校長先生が来られました。後で友人が、

「校長先生が、『ジョホールラクサ、アイスクリーム、山羊肉の焼肉も食べて下さい。』と、言われましたよ。」

と、教えてくれました。友人は山羊の丸焼きが大好物なので、とてもうれしそうでした。食事をいただいていると、新郎新婦の登場となりました。おそろいの衣装に身を包んだ二人が入場し、会場は華やかな雰囲気になりました。しかし、来賓挨拶などはありませんでした。新郎の父である校長先生は会場の入り口で、ずっとお客さんの出迎えや見送りをされていて、それにも驚きました。お客が好きな時間に来たり帰ったりするので、座る間もない様子でした。

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私は3回しか出席していないので、全てがこのような形ではないのかもしれませんが、様々な趣向が凝らされた盛りだくさんの日本の結婚式に比べ、こちらのマレー系、中華系の結婚式はとてもシンプルに感じました。幸せな二人を祝福したいという気持ちがあれば、形は関係ないのでしょうね。

【マレーシア通信No.13】

 

【マレーシア通信No.13】

世界一混雑するイミグレーション~

私が住んでいるジョーホールバルは、マレーシアの南部に位置しています。ジョホール州の中の一つの街です。この街はシンガポールに一番近いことで有名で、私の部屋からもシンガポールの建物が見えます。

マレーシアからシンガポールに行くには電車、バス、タクシー、自家用車などの方法があります。残念ながら、私は車でしか行ったことがありません。約1キロのコーズウェイ(マレーシア、シンガポール間のジョホール水道にかかっている橋)を渡って国を行き来します。距離的には短いのですが、時間がとてもかかることで世界的に有名です。ニュースで「世界一混雑するイミグレーション」と紹介されていて、なるほどと納得しました。(私たちはイミグレと言っています。)

先日、シンガポールに出かけたときのことです。ジュロン(シンガポール)という南西部に位置する街からシンガポールのイミグレまでは20分ほどで到着しました。その時の自宅までの距離を見ると残り14キロと出ていました。不吉な予感がしました。いつも、残り14キロ付近で渋滞に遭うからです。その日も思った通りでした。ナビの14キロが全然減りません。30センチ、50センチと少しずつ、少しずつ、車を進めました。

空港2

気が付くと2時間が経っていました。シンガポールのイミグレは、私の家から12キロなので、2キロ進むのに2時間かかったということです。運転をしているので、寝るわけにもいかず、何もできず、ただ車を少しずつ進めました。ぼんやりしていると他の車がどんどん割り込んでくるので、前の車との間を開けないようにしなければなりません。また、バイクも右から左から自由に走行するので、油断できません。

やっと窓口に着き、スタンプを押してもらって抜けるのに30分かかりました。シンガポールのイミグレを通過するのに2時間30分かかったということです。しかし、その後のコーズウェイは何事もなかったかのように、ビュンビュン走ることができました。マレーシアのイミグレも10分ほどでした。シンガポールのイミグレで行列をしていたあんなにたくさんの車はいったいどこへ行ったのか、とても不思議に思いました。橋は1本だけなので、途中で違う所に行くはずがありませんから・・・。

空港1

結局その日は、シンガポールのジュロンから自宅まで、2時間50分程かかりました。距離は30キロ程です。これまでで、一番長くかかったのが3時間でしたので、ワースト記録更新とはいきませんでした。ただ、同僚は4時間を超えた経験があるらしいです。歯医者の予約時刻に間に合わなかったとか・・・。本当に国境を越えるのは大変です。

 イミグレの通過の仕方を説明します。マレーシアから行く場合は、まずマレーシアのイミグレに入ります。窓口はたくさんあります。どこでも自由に選ぶことができます。空いているところを直感的に選ぶのが時間短縮のコツです。前の車に乗っている人が多いと貧乏くじを引いたことになります。乗車している人の数だけパスポートのチェックがあるからです。人数が多いとそれだけ時間がかかります。わたしはいつも「隣の芝生は青い」状態です。

 それが終わるとコーズウェイを走ります。空いていると5分くらいですが、ぎっしり詰まっていると1時間以上かかります。橋の真ん中が国境のようです。マレーシア側では車のことをkereta、シンガポールに入るとcarの表示に変わります。

シンガポールの税関では車の荷物検査があります。何か悪いものを持ち込んでいないかチェックしているようです。その後、パスポートチェックがあります。それで、やっと終了です。シンガポールからマレーシアへ行く場合は反対のことを行います。

 マレーシアからシンガポールへ働きに行っている人が多いので、平日の朝晩はとても混みます。特にバイクの数に驚きます。バイクレーンを横4列ぐらいで隙間なく走っています。まるで、砂糖に群がる蟻のようです。反対にシンガポールからはマレーシアに買い物に来る人が多いです。物価が3分の1ぐらいだからです。休日の夕方は買い物帰りのシンガポーリアンの車がイミグレに入りきらず、道路に長い行列ができているほどです。

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 ヨーロッパ旅行をしたときに、いつ国境を越えたのかわからないことが多く驚きました。社会情勢や国の考え方によるのでしょうが、大きな差を感じました。マレーシア、シンガポール間はセカンドリンクもありますが、混雑解消はまだまだ先のことのようです。

 

 

 

【マレーシア通信No.13】

 

【マレーシア通信No.13】

ハリラヤ~

前回は「ラマダン」の月についてお知らせしました。今回は「ハリラヤ」についてです。今は、あちらこちらで「オープン ハウス」が開催されています。「プアサ」が終わって食事を訪問者に提供することです。

本校と交流している「コタマサイⅡ校」からも招待を受け、本校職員と出かけていきました。生徒達は「バジュ クロン」「バジュ マラユ」に身を包み、楽しそうに食事をしていました。

ハリラヤ2

学校で調理している物もありますが、多くは家庭から持ってきたそうです。日本では焼き鳥ですが、こちらでは「サテ」と言って、鶏肉や牛肉を串に刺て焼いた物を、ピーナッツのソースに付けて食べます。美味しそうな臭いが辺り一面に漂っていました。

ハリラヤ3

生徒やその家族、近所の人、教育省の方々、本校のように交流をしている学校職員等々、多くの人で賑わっていました。各教室がまるで「喫茶店」のような感じで、誰でも食べて良いのです。生徒達がにこやかに給仕してくれて、楽しい時間を過ごすことができました。

生徒達にマレー語で挨拶をすると、にこっと笑顔で返してくれました。校内を歩いていると、生徒の集団が、

「ジユプン?(日本?)

と言って、付いて来ました。

「ヤ、ヤ。サヤ オラン ジュプン。(はい、私は日本人です。)」

と言うと、大喜びでした。それからは、知っているマレー語の単語を言い続けました。それが彼らにとって、とてもうれしいことのようで、大変盛り上がりました。

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また、ローカルの本校職員の方(ジャミルさん)に、ハリラヤ料理の作り方を教えてもらいました。「クェテュパッ(ketupat)」といって、椰子の葉で編んだ入れ物にお米を詰めたものです。それを煮るとご飯が固まって、お餅のようになっています。それにカレーなどをかけて食べます。

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椰子の葉で編んだ入れ物も同じように「クェテュパッ」と言うそうです。編むのが難しくて、昨年教えてもらった時は覚えることができませんでした。今年こそはと思い、何とかできるようになりました。図工の時間にジャミルさんに講師として来たいただき、子どもたちと一緒に教えてもらいました。両手に椰子の葉を巻き付けて、それを組み合わせながら編んでいきます。日本で以前に見たことがある「金魚」のような感じです。

ハリラヤ4

ジャミルさんは、160個の「クェテュパッ」を5時間かけて作られたそうです。形も3種類あり、お米の入れ方も違いました。2種類は上からお米を入れ、もう1つは下から入れました。理由は穴の大きさが違うからです。お米は、いっぱい詰めるのではなくて、半分ぐらいにします。お米を炊くと膨らむからです。入れ過ぎると、ご飯が固くなるそうです。私もお手伝いをしましたが量が適当かどうか分からず、最終仕上げはジャミルさんの娘さんにチェックをしてもらいました。多過ぎたり、少な過ぎたりといろいろでした。

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お米を詰めたあと、6時間も煮るそうです。ジャミルさんの奥さんは前日の6時ぐらいから料理を始め、終わったのが次の日の午前4時だったそうです。

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出来上がった料理は、「クェテュパッ」「アヤム レンダン トッ」「サヨル ゴレン ジャワ」です。私たちは美味しくいただきましたが、その影で、大変な作業をしてくださっていたことがわかりました。1学期の終業式ランチはジャミルさんの振る舞いで、満ち足りた気持ちになりました。

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